【小説】ねこミミ☆ガンダム 第5話 その3逮捕者されたアイーシャの協力者は警視庁で尋問にかけられた。2日後、協力者は司法取引に応じるとして、アイーシャの居所を供述。捜査員は、凛音が監禁されているというアパートに踏み込んだ。部屋には生活の痕跡があったものの、アイーシャと凛音の姿はすでになかった。 結局、ここに来て捜査はふり出しに戻ってしまった。 夜。 アパートの台所で、アイーシャはスマホの時刻を見てつぶやいた。 「連絡がない……」 協力者との間には24時間、連絡がなければどちらかに緊急事態が起きたとする、という取り決めがあった。 「計画を急がなくては……」 凛音は背後からアイーシャに腕をつかまれながら、屋外にあるアパートの階段を降りていた。背中には硬い銃口が突きつけられている。 のどにまできた恐怖を抑えつつ凛音はたずねた。 「特別なものを見せてくれるって? な、何を?」 アイーシャはこたえた。 「とっておきのもの。私の切り札ね」 アイーシャは、あらっぽく腕をつかんで凛音を急かした。 「さあ、急いで!!」 監禁された2階の部屋。その直下にあたる1階の部屋。ドアの鍵をアイーシャは開けて、ふたりは入った。 部屋の造りは同じだ。 が、台所の床には床下収納の扉があった。アイーシャは床下収納の扉を開けた。階段がある。下には、ふたりがやっと入れるぐらいの空間があった。 「ここよ」 と、いってアイーシャは地下に降りた。凛音も続いた。 コンクリートに囲まれた空間。床には、鉄製の重そうな扉があった。 アイーシャが鉄扉を開けた。真っ暗で底が見えない。冷たい風が吹き出す。唸るような音がした。 地下には、さらにはしごで降りれるようになっていた。 「この下」アイーシャはいった。 「どこにつながっているんだ……?」 凛音は口の中が乾いているのを感じた。 「地下深くに。うっかり足を踏み外さないでね。死ぬから」 アイーシャがはしごを降りて行った。手錠をされた凛音も続いた。 真っ暗なせまい縦穴だ。灯りは下を降りるアイーシャの持つライトだけ。5分以上、はしごで降りただろうか。まったく地面につく気がしない。 ――足を踏み外したら死ぬ。 言葉の意味が理解できた時、凛音の足はすくんだ。 凛音は声をあげた。 「この穴はどこまで続いているんだ!?」 「心配しないで。もうすぐ地面につくから」 いつもと変わらないアイーシャの声が不気味だった。 さらに十数メートルは降りたところで、やっと地面についた。コンクリートの地面だ。 地下は真の闇だった。音の響きからして広い空間らしい。潮のにおいがわずかにした。 アイーシャは凛音にライトを向けていった。 「ここは地下放水路よ」 都市部に大雨が降った際、水があふれ出ないように流し込む施設だ。 アイーシャはライトであたりを照らした。立ち並ぶ巨大な石柱が見えた。広すぎるせいで果てがわからない。地獄があるならこんな感じだろうか。 「こんなところに何があるんだ……」 凛音がいうと、アイーシャはライトを前に向けた。 「これよ」 目の前に壁かと思うほど巨大な物体があった。 「うわっ!!」凛音は思わず声をあげた。 巨大な物体は闇に同化するように黒かったため、目の前にあっても気付かなかったのだ。 「マ、マシンドールか!?」 それにしても違和感がある。黒い物体は、高さがあるのは当然として奥行きが測れない。巨大な建造物のようでもあった。 アイーシャは黒い物体に手を当てながらいった。 「この子は私と同じ――。だから、何者にも負けない。たとえ、警察でも、軍隊でも」 こんなものを自分に見せる意図がどこにあるのか、凛音は戸惑った。――あるいは警察の捜査がせまっているのか。 たしかに、この巨大な物体が人間の手足のように動くのなら、警察や軍隊でも勝てるとは思えない。でも、シロネコなら……。いや、あれには英代ちゃんが乗るのだ。 凛音は、自分の解放と少女の身を天秤にかけた頭を振った。 アイーシャは本気なのだ。それを示すために凛音をここまで連れてきたのだろう。その横顔には一分の迷いもない。強さを感じさせる大きく見開いた瞳。暗やみの中で、まっすぐに前を向いていた。 学校が終わった。 均は、NPOの拠点に向かう前に、家で英代を待っていた。 英代がきて、ふたりで家を出ようとした時、均の母、理沙が呼び止めた。 「あなたたち、お父さんのことを調べているんでしょ?」 理沙はいくぶん細くなった顔でいった。 「どうなってるの? わかっていることがあるなら、私にも教えてくれない?」 均はふり返っていった。 「母さん。捜査の情報はほかの人に教えないようにって言われているんだ。前にも言ったろ」 英代が口を挟んだ。 「でも、おばさんは……」 「わかってる。だから、NPOや警視庁の人たちに、どこまで教えていいか聞いてみるよ」 「お願いね……」 理沙は生気のない声を返した。 ふたりは外に出た。 歩きながら英代がいった。 「みんなやセラフィムさんに聞くの?」 均はこたえた。 「うーん……。言ってもムリだと思うんだ……」 「おばさんは知りたいはずだよ」 「もう少し捜査が進んでからのほうがいいと思う。犯人の協力者が捕まったって言っても、まだ父さんの居場所もわからないんじゃあ……」 「でも……」 「母さんもかえって不安になると思う」 「見せて不安になるのも、見せないで不安になるのも一緒でしょ。わかってること少しでも教えてあげようよ!」 「うーん……」 「大丈夫だって! ね!?」 英代に押し切られる形で、均は母に捜査情報を伝えることにした。 NPOの会議室にこっそり入り、例の監視カメラの映像をスマホで撮影した。 家に帰り、わかっている情報とただ一つの手がかりである映像を理沙に見せた。 監視カメラの粗い映像では、仲のいい男女が手をつないで買い物をしているようにしか見えない。 理沙は空気が抜けたようにリビングの床にへたり込んだ。 「母さん!!」 「おばさん!!」 理沙はしゃべるのもやっとのようだった。 「ご、ごめんね……。足に力が入らなくて……」 均はあわてていった。 「たしかに父さんのいる場所はまだわかってないけど、みんな一生懸命に捜査してくれてるんだ!」 理沙は床に目を落としながらつぶやいた。 「やっぱり、あの女のところに……」 「な、何言ってるんだよ……。父さんは脅されて……」 理沙は白い顔を上げた。 「均、お母さんとお父さん、もうダメかも……」 「か、勘違いしないでよ! 父さんはきっと……!!」 「群馬の実家に帰ることになるけどいい? 英代ちゃんたちともお別れになっちゃうね……」 英代がいい返した。 「おばさん! そんなこと心配しないでください!!」 「そ、そう! 諦めんなよ!!」 「おばさんはまだまだ若いし、キレイなんだから、すぐにまたいい相手が見つかるに決まってます!!」 「え!? 何言ってるの!?」均はおどろいた。 「そ、そう……?」理沙は顔を上げた。 「男なんてたくさんいるんだから、おばさんのことをいいと言ってくれる人だって必ずいます!!」 「そ、そうよね。ありがとう、英代ちゃん……」 均は、ふたりに割って入った。 「ちょっと待った、英代!!」 「な、なに?」英代はおどろいたように均を見た。 「ごめんな! ありがとう! 英代にはいつも感謝してるんだ……」 「な、なによ、突然……」 「でも……さ、家族の問題については俺と母さんとで話をしたいんだ。悪いけど、ちょっとだけ黙っていてもらえないかな?」 「均がそう言うなら……。でも、私は良かれと思って……」 「わかってる! 本当にありがとう!!」 均は、理沙に向き直るといった。「母さん! 父さんのこと、もうちょっとだけ信じてあげようよ!!」 理沙は戸惑ったようにいった。 「でも、あの人は私たちよりあの女を選んだのよ……」 「そんなことない! 父さんだって家に帰りたいに決まってる! だけど、脅されて仕方なく……!!」 「でも……」 「あんなに仲良さげに……」英代が口を挟んだ。 「英代は黙ってくれって言ったろ!!」 均はいった。「母さんは父さんのこと、そんなに嫌いになったの!?」 「そんなことない!」理沙の潤んだ瞳から涙がこぼれた。「だって、あの人は、私のっ……! うっ……、うぅっ……!!」 「ねえ、もうちょっとだけ父さんのこと信じてあげようよ……」 理沙は目を拭った。 「うん……うん……」 均は胸をなでおろした。英代に向かっていった。 「英代もごめんな。俺や父さんのことで、いつも苦労ばっかりかけてさ」 「な、なに、あらたまって……」 均は頭をかきながらいった。 「英代には本当に感謝してるんだ」 「そんなのいいって……」 英代が早口でいった。「そんなことより、おばさん。私の母方の伯父さんが40代でまだ独身なんだけど、もしよかったら――」 「もうやめろっ!!」 均はカッとなって英代の口を背後からふさいだ。 セラフィムは、アイーシャの部屋から集められた遺留品について、鑑識の担当者から説明を受けていた。 捜査員がアイーシャの部屋に踏み込んだ時、アイーシャと監禁されているはずの並木凛音はすでにいなかった。しかし、ふたりが生活していた痕跡が部屋には残っていた。 スチール製の机の上にはビニール袋に入った遺留品が並べられた。 遺留品を指しながら鑑識の担当者はいった。 「こちらがアイーシャの毛髪と耳毛。こちらが並木凛音の毛髪です。アイーシャの指紋は部屋の数カ所から見つかっています。指紋にはふき取られた跡もありました。並木凛音の指紋は見つかっておりません」 セラフィムは証拠の品をにらみつけながら、口の下に手をあてた。 「……あなたはどう考えますか?」 「ど、どうとは……?」 困惑して目を広げる鑑識にセラフィムはつづけた。 「この部屋にアイーシャと凛音は、本当に住んでいたと思いますか?」 「状況証拠と物的証拠からしてアイーシャと凛音がこの部屋に住んでいたことは、まず間違いないでしょう。部屋には、成人男性を監禁するための改造まで施されていました。新築のアパートにも関わらず、です。潜伏期間から見て遺留品が少ないのは部屋を出る際に清掃していったのだと考えられます」 「ふむ……」 押し黙るセラフィム。 「私の意見など参考にもなりませんが……」好奇心を抑えられないように耳をふくらませて鑑識がいった。「何か、気になるところがありますか?」 セラフィムが遺留品の1つをつまみ上げた。透明なビニール袋には短い繊維のようなものが数本、入っていた。 「これは?」 鑑識はこたえた。「これは畳の繊維です」 「畳……? あのアパートは全室フローリングのはず。これがどこから来たものか、わかりますか?」 「残念ながら、そこまでは……。調べたところ、かなり古い畳のようです。わずかしか見つからなかったことから、容疑者や被害者がどこかの和室に入った際、衣服に付いたものが落ちたのではないか、と。今は、それぐらいの推察しかできません」 「この証拠品、お借りします」 「もちろん、それは――。何かわかりましたか?」 セラフィムは遺留品を胸のポケットにしまった。 「これからわかるかもしれません。が、もし、わからなかったら、私は警視庁を辞めることになるかもしれませんね……」 鑑識はなぜか瞳を輝かせていった。 「その時は鑑識班でもフォローします」 セラフィムは微笑した。 「お願いします」 セラフィムは取り調べ室にアイーシャの協力者を呼び出した。 スチール製の机をはさんでふたりは向かい合った。 協力者は口をとがらせている。夜ふけに聴取をされることが不満なのだろう。 セラフィムは切り出した。 「私は以前、王国軍の参謀本部に勤めておりました」 顔を横に向けながら協力者はこたえた。 「ふーん、エリートさんだな。で? こんな夜ふけに世間話か。消灯時間が早いせいで、俺はすっかり眠いんだが……」 「あなたは諜報部に勤めていたこともあるそうですね。もしかしたら、どこかでお会いしたことがあるかも」 「……用がないなら帰してくれないか?」 セラフィムは本題に入った。 「あなたが供述したアイーシャの住居に捜査員を派遣したところ、すでにもぬけの殻でした」 「ほう……」 「どう思われますか?」 「どう? おおかた、俺が捕まったことを察知して居場所を変えたのだろう。男を連れ回しながら大した執念だと思うね」 「私はそうは思えませんでした」 「……なに?」 協力者が目の色を変えた――気がした。 「鑑識が調べたところ、アパートの部屋からは容疑者のアイーシャと被害者のものと思われる毛髪などが見つかりました」 「そりゃあそうだろう。住んでいたんだから……」 「では、これはどう思われますか?」 と、セラフィムは畳の繊維が入ったビニール袋を見せた。 「……それはなんだ?」 「これは畳の繊維です。容疑者の部屋はフローリング。これはどこから来たものだと思いますか?」 協力者は表情を変えなかった。 「さあ……? そんなことは知らん。足にでもついてたんじゃないか?」 セラフィムは協力者を見すえながらゆっくりといった。 「あなたは予めニセの証拠品を仕込んで、無関係な部屋をアイーシャの部屋であると偽って我々に教えた」 「は? 何を言ってるんだ……」 「あなたはウソの供述をした」 協力者は立ち上がらんばかりに激高した。 「バカを言うなっ……! 俺は司法取引にまで応じたんだぞ! その俺がウソをついてどうするんだ! 言いがかりだっ!!」 こんな聴取があるか! 弁護士を呼べ! などと、協力者は騒ぎ立てた。 セラフィムは相手を見すえながらいった。 「私は職業柄、声だけで相手がウソをついているかどうかわかるのです。今、あなたはウソをついている」 「お前の特技など知るか! とにかく、俺にはもう話せることはない!!」 「そこまでして容疑者をかばうのはなぜ?」 「無駄な尋問だ!!」 セラフィムは立ち上がった。 「これより新たに尋問をはじめます。今度こそ、すべてを話してもらいます。そのための手段は問わないことにしました」 セラフィムが取り調べ室のドアに声をかけると部下が入ってきた。部下は大きな紙袋を抱えている。その顔は緊張のためか白かった。 セラフィムは、部下の持つ紙袋の中からガスマスクを取り出した。部下とともにガスマスクを装着した。 「何をしている……」いぶかしがる協力者。 セラフィムは、紙袋の中から手のひら大の鉄製の箱を取り出した。箱を開くとガラスの小瓶がひとつあった。小瓶にはみどり色の液体が入っている。 セラフィムは協力者に小瓶を見せた。 「あなたも元諜報部ならご存じでしょう」 「まさか……」協力者の声がわずかに震えた。 ガスマスクのセラフィムはいった。 「マタタビ濃縮液。ニオイを嗅ぐだけで強烈な多幸感を得る。が、その後、耐えがたいまでの禁断症状が即座に現れる。ネコミミ族にとっては最高の媚薬であり、最悪の毒物。禁断症状が出るまでの時間は濃縮の度合いによる。これは1万倍濃縮エキス。発症までの時間は5分とかからない」 「ふ、ふざけるなッ!!」協力者は顔を真っ赤にして言い返した。「お前たちのやろうとしていることは拷問だ! 自分の無能を棚に上げて!!」 セラフィムは、部下にエキスの小瓶を手渡した。 「禁断症状の恐ろしさは知っているはず。幻覚、幻聴。いつも見られているかのような不安感、焦燥感。ミミ毛は抜け落ち、爪は研ぎすぎて無くなる。そして、遂には精神錯乱に至る――。死よりもつらい禁断症状を抑えるには体内、主に血液の大がかりな除染手術。もしくは、天然のまたたびの枝で3ヶ月もの間、遊び続けるしかない。当然、その間、まともな生活は送れない……」 腰を浮かせて身がまえる協力者。顔中に油のような汗を垂らしながらいった。 「できるものか! 拷問なんて王国軍でも認められてもいない! この国の法律だってそうだ! お前のやっていることは違法だ!!」 「例外規定があります」セラフィムは変わらない声でいった。「女王さまの安全に関わる事案であれば――という例外が。本件の被害者である並木凛音は、女王さまの婚約者候補の父親。例外規定が適用される可能性はあります」 「欺瞞だ! 弁護士……! 弁護士を呼べッ!!」 協力者を無視して、セラフィムは部下に指示を出した。部下は小瓶のフタに手をかけた。マスクの上からでも部下の緊張が伝わった。 セラフィムはいった。 「我々は本当に無能かもしれません。しかし、それがわかるのは今ではない。――この5分後です」 「やめろッー!!」 協力者の絶叫が取り調べ室にひびいた。 「開けてください」 セラフィムがいうと部下は小瓶のフタを開けた。 「うッ!!」 協力者は口を手で押さえた。 セラフィムはガスマスクの顔を協力者に近づけていった。 「無駄です。気化したエキスの成分は目の粘膜からでも吸収されます。正常な判断ができるうちに本当のことを話してください」 「うううぅッ!!」 協力者は目を固く閉じた。 セラフィムは口を押さえる協力者の手をつかんだ。力まかせに引きはがす。と、協力者は目を見開いた。この世でもっとも恐ろしいものでも見るような目だった。 ふいに、セラフィムの背後で低いうなり声がした。振り向くと、部下のようすがおかしい。倒れる寸前のコマのように体をふらふらとさせている。持っているエキスの小瓶を今にも落としそうだった。 セラフィムは部下に近づいた。 「どうした……」 部下はガスマスクの下で白目をむいていた。ふいに、持っていた小瓶を落とした。ガラスの瓶がはじけ、マタタビエキスが床に散乱した。 部下のマスクは首のあたりにねじれがあった。ここから気化したエキスが入ったのだ。 「あ……うぅ……」 部下は、聞き取れないことを口走った。床に散乱したエキスに手を伸ばそうとした。 「やめろッ!!」 セラフィムは、かがみ込む部下にひざ蹴りを叩き込んだ。部下は、吹き飛んでドアに叩きつけられた。そのまま気を失った。 セラフィムは内線電話の受話器を取った。早口になっていった。 「エキスが散乱した! 完全防備した署員を2名、こちらに寄こしてくれ!!」 すぐにガスマスクをした署員があらわれ、倒れた部下を抱えあげた。 「体内除染を!!」 署員が出ていったあと、セラフィムは協力者に向き直って声をあげた。 「さあ、早く言え! 廃人になりたいか!!」 すでに5分が過ぎていた。協力者は充血した目から涙を流している。その表情は苦悶を訴えるものになっていた。 セラフィムは背広のポケットから、ビニール袋に入った〈またたびの枝〉を取り出した。実も入っている。 またたびを協力者の顔先に突きつけた。 「さあっ……!!」 協力者は焦点の合わない目でセラフィムを見返した。 尋問によってアイーシャの本当の居所が明らかになった。 翌日、アイーシャの逮捕と凛音の救出のため、警察による突入作戦が試みられることになった。 早朝。うす曇り。 アイーシャのアパートは住宅街にある。複数の捜査員が物陰から取り囲んでいた。 アパートの横から真っすぐに延びる長い登り坂がある。坂の上には警察車両やネコミミ警官らの姿があった。さらに、建物の陰に隠れるようにして数体のマシンドールが待機していた。英代の乗るマシンドール〈シロネコ〉と、NPO雲ヶ丘ガーディアンのメンバーもいた。 指揮を取るセラフィムは、坂の上から赤い屋根のアパートを見下ろした。 協力者は「アイーシャはマシンドールを持っている」とも供述している。早朝ではあったが、無理をいって周辺の住民らには退避してもらっていた。 均が白い顔をした女性を連れてきた。 「セラフィムさん。母が、どうしても父さんのことが聞きたいって……」 「均の母です」理沙が細い声でいった。「凛音は……夫は無事なんでしょうか」 「心配されるのは当然のことです」 セラフィムはアパートを指さした。「あの赤い屋根の建物。あれが凛音さんが監禁されているアパートです。すでに捜査員が包囲しております。容疑者のアイーシャが仕事に行くために部屋を出てたところで身柄を確保。そのあとに凛音さんを助け出す手はずです」 セラフィムは理沙に向き直っていった。「ご心配には及びません。凛音さんと再会できるのも時間の問題です」 「あ、ありがとうございます……」 理沙は表情をゆるめた。 いつものように早い朝食を食べ終えてアイーシャがいった。 「仕事に行ってくるわ」 アイーシャは玄関で靴を履きながら、「今日で仕事を辞めるから。明日からは海外移住の準備をしないとね」と、おどろくことをいった。 「海外って……! 本気か!?」 「前にも言ったじゃない。お互い外国に行ったほうが落ち着いて生活もできるでしょ」 「僕は外国に行くつもりなんてない!!」 アイーシャは冷たい声でこたえた。 「……あなたは1度、私を裏切ったのだから、1度、私の言うことを聞くこと。それで、やっと対等な関係よ」 「うっ……!」凛音は声を絞るようにいった。「だ、だからって、見ず知らずの土地に行くなんて……」 「あなただってこんなせま苦しいところに押し込められているのは嫌でしょ。外国に行って、対等な立場になってふたりの関係をやり直す。それでいいじゃない」 「でもっ……!」 アイーシャはドアに手をかけた。 「ごめんなさい。時間がないから出るわ。また、あとで話しましょう」 アイーシャは玄関の扉から出ていった。 凛音の心は乱れた。外国に連れて行かれたら、もう2度と家族に会えないだろう。なんとしても外国行きを阻止しなくてはいけない。 しかし、説得に応じるようなアイーシャではない。銃を突きつけてでも連れて行くつもりだろう。なら、どうしたら―― 凛音は部屋の中をうろうろしていた。が、ふいに気づいた。 玄関のドアの鍵のかけられた音がしない。 いつもなら、ドアが閉まってすぐに鍵のかかる音がする。その音がなかった。 慎重なアイーシャが、そんなミスをするとは思えない。 凛音は玄関のドアに近づいた。耳をすませる。物音はしない。気配もないようだ。 音をたてないようドアに顔を近づけた。鼓動が早くなる。汗がにじむ。のぞき穴をのぞいた。外にはだれもいない。 スローモーションのようにドアノブをまわす。腕がこわばる。 わずかな音がしてドアが開いた。 狭いすき間から薄暗い通路をうかがう。だれもいない。 一気にドアを開いた。死角になったドアの裏側を見る。だれもいなかった。 ついに、その時がきた。 2階から外に出るには通路を進み、階段につながるもうひとつのドアまで行かなくてはいけない。 凛音は階段につながるドアに近づいた。 ドアのくもりガラスからは明るい光が差し込んでいた。 震える手でドアノブをとった。 と、ドアがかってに開いた。 目の前には鍵を手に持ったアイーシャが立っていた。 ふたりは目が合った。 「あっ……」 「うっ……!」 凛音は叫びながら駆け出していた。 「うわあああああッー!!」 アイーシャを押しのけ、階段を駆け下りる。数段を飛ばして地面についた。わき目も振らずに走った。 アイーシャは凛音に押し倒された際、手すりで体を支えたが、尻もちをついた。 「くッ!!」 すぐに立ち上がり、脚のホルスターから銃を抜いた。 銃をかまえる。 が、凛音は階段を降りて隣家の塀のうらに消えていた。 「凛音ッ!!」 厳しい形相で叫んだ。 と、物陰から数人の捜査員らが現れた。あっけに取られたようにこちらを見ていた。 セラフィムのもとに捜査員らから無線で連絡が入った。凛音はアパートを自力で脱出。アイーシャは捜査員に気づいたという。 セラフィムはマイクに向かって声をあげた。 「ひとりは凛音さんを保護! 残った者たちでアイーシャを確保! 状況に合わせて動けっ!!」 アイーシャに向かって捜査員らが銃をかまえた。 「銃を捨てろ!!」 階段の上から見えるだけで、まわりを4人の捜査員に囲まれている。 アイーシャは持っていた銃を高くかかげた。敷地を越えるほど遠くに銃を投げ捨てた。 捜査員らが階段を駆け上がった。アイーシャに迫った。 アイーシャは階段の手すりを乗り越えた。着地すると、すぐ前にある1階の部屋の扉を鍵で開けて中に入った。 捜査員たちが1階の部屋に踏み込むと、アイーシャの姿はすでになかった 台所の床下収納の扉が開かれており、そこから地下室に降りれる。 地下室の床には、さらに鉄の扉があった。 鉄扉の下は真っ暗闇で底が見えない。冷たい風が吹き上がる。獣がうなるような機械音がした。 ネコミミの捜査員と手をつなぎながら凛音が坂道を駆け上がってきた。 セラフィムは凛音を迎えるため坂道を降りようとした時、異変に気づいた。 坂の上から見下ろせる住宅街の一角が動いた気がした。次いで、地鳴りのようなひびきが足元からした。 「地震……?」 まわりのものたちは互いに顔を見合わせた。 ふいに、坂の下の家々がおもちゃのようにふらふらと揺れ動いた。 と、地を割るような轟音がした。見る間にアパートを中心にして大地がいびつに盛り上がっていった。建物は飴細工のように崩れていった。 激しい揺れがきた。セラフィムはひざをついた。人々の悲鳴が轟音にかき消される。 アイーシャのアパートがあったところに、見上げるような山ができていた。 土ぼこりが晴れる。と、現れたのは黒い鋼鉄の巨人だった。地上から現れた上半身だけでも通常規格のマシンドールとは比べ物にならない大きさだ。 機械の両目が光った。セラフィムらを見下ろした。 アイーシャは巨大マシンドール〈ニャインズ・ニャイン〉のコックピットから街を見下ろした。坂の上には多数の警察関係者の姿や車両が見える。何体かのマシンドールも待機していた。ニャインズからしたらおもちゃのような大きさだ。 坂道を走る凛音と捜査員がいた。凛音がこちらを見上げた。その目が恐怖で見開かた。 「凛音ッ!!」アイーシャは声をあげた。 アイーシャのニャインズは立ち上がった。下半身を覆っていた大地がやすやすと崩れた。地下放水路から脚を引き抜いた。 ニャインズの全高は約200メートル。超高層ビルほどだ。 街のどんな建物より大きい右脚が一歩を踏み出した。家々を軽く押しつぶす。 ニャインズは逃げる凛音を追った。 巨大なマシンドールが凛音に迫った。足が地面につくたびに衝撃で体が浮き上がる。耳が聞こえなくなるほどの轟音があった。 「リオンッー!!」 巨大マシンドールのスピーカーからアイーシャの声がした。 「また私を裏切るの!? 騙すの!?」 ニャインズから発する声が空気を震わせた 凛音は捜査員とともに坂道を走った。恐怖で全身の筋肉がこわばる。坂の上には、恐ろしげにこちらを見る警察関係者らの姿があった。数体のマシンドールと英代のシロネコもいた。 そして、妻の理沙、息子の均がいた。待っていてくれたのだ。凛音は、やっと家に帰ってこれたような気がした。 凛音は足を止めた。一緒に走っていたネコミミ捜査員の手をはなした。 捜査員は声をあげた。 「何をしているんですっ! 早く走って!!」 凛音はいった。 「あなたは行きなさい!!」 近づこうとする捜査員を凛音は押し返した。 捜査員はよろめいた。ふいに、大きな影が迫る。あまりにも巨大なマシンドールが見下ろしていた。捜査員は、ひきつった顔でその場から逃げていった。 凛音は振り向いた。見上げても頭が見えないほど大きな巨人と向き合った。 凛音は両うでを広げた。巨人に向かっていった。 「アイーシャ、僕に見せられる誠意はこれしかないんだ……!」 ニャインズは右脚を高く上げた。 「凛音ッ!!」 上げた脚を凛音に向かって下ろした。 アイーシャには、この恋の結末がやっと見えた気がした。 ふたりは手を取り合って地獄へ行くのだ。 ――アイーシャは思い出していた。 はじめて会ったのは雨の夕方。ビジネス街のコンビニの店先だった。 お金も傘もなく立ち尽くしていたアイーシャに、声をかけてくれたのが凛音だった。持っていた傘を気にするなとばかりに押し付けてくれた。 あとで聞いた話によると同じ会社の女性社員と間違えていたという。でも、嬉しかった。 傘を返すために何日か、同じ時間にコンビニの前で待った。再会した時はおどろいたようすだった。でも、喜んでくれた。 そのあと何度か連絡を取り合って食事にさそってくれた。 雰囲気のいいお店。見たこともない豪華な食事。ゆったりと流れる時間。この星で、はじめて声をかけてくれた優しい男性。 運命以外の言葉で説明したくなかった。 でも、恋はあっさりと終わった。運命は死んだ。 「優しいあなたが好きだった!!」 ニャインズの右足が凛音を踏みつぶした。 ニャインズの足がわずかに地面に届かない。 アイーシャがモニターで見ると、ニャインズの足の裏にはシロネコがいた。両腕で、自分よりも大きな足裏を支えている。 シロネコに乗る英代はいった。 「おじさん! 早く逃げて!!」 凛音はシロネコを見上げながらいった。 「ムチャをするなっ! 英代ちゃんこそ逃げるんだ!!」 ニャインズの巨大な足裏がさらに迫った。 シロネコの全身から悲鳴のような異音があがった。 「重いッ……!!」 シロネコの足がコンクリートの地面を割りながら、ずぶずぶと埋まっていった。 「だ、ダメだッ!!」 英代は叫んだ。 轟音とともにあたりが暗くなった。 ニャインズは、凛音とシロネコがいたところを何度も何度も踏みつけた。 全身を震わせる恐ろしい音。地面が形を変えていった。 理沙は坂の上からその光景を見ていた。が、一歩あとずさると支えを失って倒れ込んだ。 「母さん!!」 均が駆けよると理沙は気を失っていた。 均は、巨大なニャインズの足元を見てつぶやいた。 「英代ッ……!!」 アイーシャは、コックピットのシートで頭を落とすようにうつむいた。肩を震わせながらいった。 「凛音……。私もすぐに行く……」 アイーシャがシートから腰を上げた時、ふいに鈴の音が鳴った。 鈴の音は絶え間なく聞こえる。とても近くから、あるいは遠くから。それとも、アイーシャの頭がおかしくなったのか。 気になって、アイーシャはニャインズの右足をどけた。地面には、つぶれたシロネコと凛音がいるはずだった。 が、そこにあったのは真っ白な楕円体の塊だった。塊は、細い糸が絡み合ってできているらしい。 突然、白い塊が立ち上がった。 アイーシャのニャインズは思わずあとずさった。 たまごのような楕円体がブルブルと震えた。と、てっぺんからシロネコの耳が飛び出した。 楕円体の正体はシロネコだった。 風が吹いた。シロネコの全身をおおう糸が、水に溶ける絵の具のように流れていった。 すべての糸が流れる。現れたのは傷ひとつないシロネコだった。両手には凛音を抱えていた。 ニアは、坂の上から双眼鏡でようすを見ていた。珍しく声をあげた。 「ほう! 〈モコモコガード〉が発動しましたか!!」 「モ、モコモコ……!? なんですか、そのふざけた名前は……!?」 夏恵來はニアから双眼鏡を受け取った。たまごのような塊から現れたシロネコ。凛音も無事だった。 ニアはこたえた。 「名前を考えたのは英代さんです。モコモコガードとは、シロネコに備わる現状最強の防御兵装です。全身を覆う〈ファイバーアーマー〉から伸びる毛髪状の特殊装甲を瞬時に伸ばし、あらゆる熱線や衝撃を防ぎます」 「とにかく、英代ちゃんは無事なんですね!!」 「もちろんです。しかし、モコモコガードは強い攻撃にさらされると自動で発動するようになっています。あるいは危ないところだったかもしれませんね」 夏恵來は、双眼鏡でアイーシャのマシンドール――ニャインズを見上げながらいった。 「しかし、なんですか。あのでっかいバケモノは……」 「あれは〈AMDW(アンチ・マシンドール・ウェポン)〉でしょう」 「アンチ……?」 「セラフィムさん!」 と、ニアはセラフィムにいった。「AMDW(アンチ・マシンドール・ウェポン)で軍の開発記録を検索できますか?」 セラフィムは真剣な表情でタブレット型端末を操りながらいった。 「今やっています……!」 「AMDWとは何なんですか?」 夏恵來の問いにニアはこたえた。 「今や戦場の主力はマシンドールです。そのマシンドールを倒すためだけに開発された兵器がAMDW。まだまだ試験段階のはずです」ニアはニャインズを見ながらいった。「あのデカブツは、通常規格のマシンドールをその巨体とパワーで圧倒するという単純なコンセプトで造られたものでしょう。それがなぜ街中から出てきたのかわかりませんが……」 「ありました!」セラフィムが端末に目を落としながらいった。「超巨大マシンドール〈ニャインズ・ニャイン〉。開発と試験を経て、すでに廃棄されたとありますが……」 ニアがいった。「開発者のだれかが悪さでもしたのでしょう。私も他人のことは言えませんが……」 「英代さんは勝てるのでしょうか」 「やり方しだいでしょう。無線が通じません。マイクを貸してもらえますか」 セラフィムからマイクを受け取るとニアはいった。 「英代さん! お怪我はありませんか!?」 英代の声がシロネコからした。 「平気です!」 「わかっていると思いますが、相手はパワーも体躯もケタ違いです。しかし、その大きさゆえ稼働時間は10数分ともたないはず。攻撃を避けながら時間をかけてしとめてください」 「……でも、それでは街が壊されます! 試してみたいことがあります!!」 「わかりました! くれぐれも気をつけて!!」 「はい!!」 シロネコは両手に抱えていた凛音を地面に降ろした。 「おじさん! みんなのいるところに行ってください!!」 凛音はシロネコを見上げながらいった。 「英代ちゃん……! 気をつけて……!!」 英代はモニターの凛音に微笑んだ。 「大丈夫。シロネコは強いですから」 アイーシャはニャインズから小さなシロネコを見下ろした。 「どこまでも、どこまでも……! 私と凛音の邪魔をするっ……!!」 シロネコは見上げるようなニャインズに指さしていった。 「おとなしくマシンドールから降りなさい! 言うことを聞けば手荒なことはしません!!」 アイーシャは激高した。 「お前が邪魔だああああああああぁぁぁぁッー!!」 ニャインズが走った。高層ビルが近づいてくるような圧迫感がある。シロネコよりもはるかに大きなニャインズの右脚が高く上がった。足裏が、こちらを踏みつぶそうと迫った。 シロネコは後方に大きく飛んで足をよけた。地面に大きな穴が開いた。 巨大な左足の前蹴りがきた。 シロネコは全身のスラスターを噴かせて飛び上がる。と、ニャインズの左ひざに手を当てて跳び箱のように跳んだ。ニャインズのわきをすり抜ける。 が、そこにニャインズの張り手がきた。シロネコは避けきれず張り手をもろに受けた。すごい勢いで弾き返される。 地面が迫った。激突する寸前、モコモコガードが発動した。 シロネコの全身の装甲から瞬時に白い毛が伸びた。ちぢれた毛はそれぞれが絡みあい、一瞬でたまごのような楕円体になった。 たまごになったシロネコは地面や建物にぶつかりながら、あたりを何度も跳ね回った。たまごは何事もなかったように立ち上がる。と、毛が落ちてシロネコが現れた。 英代はつぶやいた。「おお……。あぶなかった……」 アイーシャは苦そうにいった。「やっかいなっ!!」 英代はシロネコのモニターであたりを見渡した。これだけの戦闘で、街はすでに空爆を受けたようにめちゃくちゃになっていた。 「街が……! 人がいないとはいえ……!!」 アイーシャは足元のシロネコをにらみつけた。 「邪魔ものは……許さないっ!!」 英代はいい返した。 「それはこっちのセリフです! みんなを不安にさせて!!」 ニャインズの右前蹴り。高層マンションほどの鋼鉄の塊が迫る。 シロネコはニャインズに向かって走った。右足に向かって滑り込む。アスファルトをめくりあげながらスライディングして、巨大な足裏の直下をくぐり抜けた。 背中側にまわった。 ニャインズが振り返った。左脚が高く上がった。踏みつけ攻撃だ。 アイーシャが声をあげた。 「潰すッ!!」 シロネコの真上にニャインズの足裏があった。 シロネコは全身のバネとスラスターで跳び上がった。ニャインズの足の裏にもぐり込み、押し返した。スラスターを最大に噴かせる。バックパックのスラスターから出る光が、数十メートル上空から地上にまで伸びた。 ニャインズの左足が少しづつ持ち上がっていった。 英代はいった。「全体重がかかってなければ!!」 左足を押し上げられ、ニャインズはバランスを崩す。と、背中から倒れた。爆発のような轟音。土けむりが空まで上がった。 シロネコはニャインズの体の上を駆けた。弱点の頭部を狙った。 ニャインズの腹の上にくると、巨大な右手と左手がシロネコをつかもうとした。 「惜しまず使う! 光る剣!!」 シロネコは走りながら背中の〈光る剣〉――ハイヒートソードを引き抜いた。瞬時に発する超高温であらゆるものを斬る武装だ。使うと刀身まで蒸発する。そのために毎回、作り直す必要があった。 以前の刀タイプは不評だったため、今回は〈魔法少女のバトン風〉デザインだった。よく考えると剣ではない。 シロネコは〈魔法のバトン〉を振るった。 あたりが光に包まれる。 強烈な光と超高温を発する剣先がニャインズの指先に当たる。と、両手の指を瞬時に斬り落していた。 シロネコは巨大な両腕をくぐり抜けた。ニャインズの頭部に迫る。もう1本の光る剣を抜いた。駆け抜けながら斬り上げた。 光が収まる。と、ニャインズの顔面は真っ赤な切り口で大きく裂けていた。 メインカメラやセンサー類などを壊されたニャインズは動かなくなった。 均は坂の上から戦いを見ていた。強い光のあと、一瞬で決着がついた。 英代に怪我はないようだ。均は肩で息を吐いた。 シロネコは、倒れるニャインズの大きな頭を抱きかかえた。バキバキッとひどい音がして、ニャインズの頭部が首から外れていった。 シロネコは自身の体高ほどもあるニャインズの頭を高くかかげた。 英代がいった。 「討ち取ったどッー!!」 たぶん、三国志のゲームか何かをやったのだろう。 戦いでテンションの上がった英代はさておき、均は、気を失った母の理沙に近づいた。父の凛音が理沙を抱きかかえている。 ふたりで顔をのぞき込む。と、理沙は重そうにまぶたを上げた。 凛音がいった。 「理沙、遅くなってごめん。やっと帰ったよ……」 理沙がつぶやいた。 「凛音……。おかえり……」 夫婦は固く抱き合った。 警察のマシンドールがニャインズのコックピットをこじ開け、アイーシャの身柄を拘束した。 アイーシャは手錠をされ、警察官に両脇を抱えられながら警察車両まで歩かされた。 均たちの前に近づいた。アイーシャは生気を失ったような顔でうつむいている。凛音は、目の前を通るアイーシャに頭を下げ続けた。 アイーシャは足を止めた。 しかし、警察官に背中を押され、つまずきながらも歩き出した。振り向いてこちらを見た。何かを訴えたがるような寂しげな瞳。わずかに開いた口。 やがて、アイーシャは前を向いて歩いていった。 こうして事件は終わった。 巨大マシンドール――ニャインズ・ニャインは、開発後に廃棄されるはずだったものが違法に横流しされ、非合法組織からアイーシャのもとに渡ったという。 この戦いで満州(みつす)市北部の住宅街の一角は壊滅的な被害を受けた。しかし、あらかじめ住民を避難させていたため犠牲者はなかった。 後日、アイーシャは並木凛音を略取・監禁した罪と建造物等を破壊した罪で起訴される。 裁判の結果、ネコミミ族が8割を占める陪審員の下した判決は全員一致の無罪だった。その理由は「男が悪い」「恋はハリケーンだし」などというものだった。 また、同時期に行われた民事訴訟では、逆に、アイーシャへの損害賠償金百万円の支払いが凛音に命じられた。理沙は卒倒するほど怒り狂ったという。 ――が、それはまた別の話だ。 その日、英代は、ひさかたぶりに母方の伯父と電話で話をした。 話が先日の事件のことになると伯父は声をあげた。 「え! あの事件を解決したのが英代ちゃんだって言うの!?」 英代はこたえた。 「うん。情報統制で新聞やテレビにシロネコは出れないんだけどね」 「いやあ、大したもんだ……。あの大事件を英代ちゃんがねえ……」伯父は心底おどろいたようだった。「たしか、あの事件は不倫関係のもつれが原因なんだろ」 英代はスマホを持ちながら思わず身を乗り出した。 「そう! 思うんだけど、おじさんは1回不倫をしたから本当はアウトなんだよね!!」 「お、おじさん……?」伯父は戸惑ったように聞き返した。 「あ、同級生の均のお父さんね。伯父さんのことじゃないから」 「なんだ」 「均のお母さんが別れるなら、伯父さんのことを紹介しようと思ってたんだけどね」 「え、いいよ……。そんな気を使わないで……」 英代は力を込めていった。 「次に何かあったら、今度こそ伯父さんのことをおばさんに紹介するから!!」 「ははは……」伯父は乾いた声で笑った。 「英代は、伯父さんにも幸せになってもらいたいなって思ってるんだ」 「英代ちゃん……。うっ、うぅ……」伯父は涙声になっていった。「そんなことを言ってくれるのは英代ちゃんぐらいだよ……。僕がネコアレルギーでさえなければ、英代ちゃんにこんな心配をかけることはなかったのに……」 「伯父さん……」 ふたりは電話口でしばし沈黙に向き合った。 伯父はいった。 「あ、おこづかいいる?」 英代は声をあげた。 「え! いいの!?」 「3万円くらいでいい?」 「やったぁっ!!」 後日、3万円の入った現金書留が英代の家に送られてきた。 英代はそのお金で欲しかったゲームを2本購入し、1本を予約した。 ついでに、KEY’Zのグッズを売り払ったが、そちらは大した金額にはならなかった。 セラフィムは熱をおびた大型バイクから降りた。 タワーマンションの地下駐車場。深夜、人の気配はない。蛍光灯の灯りが義務的にあたりを照らしていた。 裏口からエレベーターに乗り込み、最上階にある自分の部屋に入った。 真っ暗な室内。セラフィムは奥へと進んだ。部屋の扉の前に立つ。と、扉ごしに、獣のうめくような音がした。 鍵を使い扉を開けた。 暗やみの中に気配がある。フローリングの床を進んだ。 窓から入るわずかな光に照らされたのは、椅子に座った人影だった。 男だ。目隠しをされ、さるぐつわを噛まされている。両手は椅子の背もたれにつながれていた。両足は、椅子の前足に太いロープでくくりつけられていた。 セラフィムは部屋の灯りをつけた。 男は気配を察して言葉にならない声を発した。 セラフィムは男の黒い布の目隠しを取った。 若い男だ。高校生か大学生ぐらいだろう。 男は、泣きはらしたように充血させた目を見開いた。 セラフィムは、さるぐつわを取ってやった。 男は震えた声でいった。 「助けてッ……!!」 セラフィムはこたえた。 「心外ですね。これはあなたが私の言うことを素直に聞かなかったペナルティです。今後、素直に従うというなら、こんなことを続けるつもりはありません」 「わ、わかった……! 言うことを聞くからっ……!!」 「フフフ……」セラフィムは満足そうに微笑むといった。「いい声になりましたね。私は職業柄、相手の言うことが本当か嘘か、声だけでわかるのです」 男はうなだれてうめいた。 セラフィムは男を見下ろしながらいった。 「あなたは私の人生のパートナーとなるのです。これから私のことは〈マスター〉と呼びなさい」 「マ、マスター……?」 セラフィムは、顔を触れるほど男に近づけた。 「そう。私があなたのマスターです」 「……」 男はひきつった顔を向けた。 英代は夢を見ていた。 夢の中には3年後の自分がいた。高校生になった英代。ご丁寧に制服まで違っている。 夢の中の英代は、セラフィムと向き合っていた。 セラフィムは、普段着ている黒いスーツではなく、ふんわりとしたシルエットの白いワンピースを着ていた。そのせいか表情からも多分に女性らしさを感じた。 セラフィムの背後には若い男が立っていた。男は、右手でネコミミの幼児の手をひいている。左手では産まれたばかりの赤ちゃんを抱いていた。赤ちゃんにも頭には小さなミミがあった。 セラフィムが英代に向かっていった。 「さすがですね、英代さん。私をここまで追い詰めるとは……。出会ったあの頃には思いもしませんでしたよ」 夢の英代はいった。 「セラフィムさん……自首してください。今なら女性の活躍強化月間だから、大抵の刑罰には執行猶予がつきます」 セラフィムはうつむいて微笑んだ。その顔は優しさのようなものに満ちていた。 「わかりました。あなたの言うとおりにします」 「ありがとう。私の説得に応じてくれて……」 「その前に少しだけよろしいですか」 「もちろんです」 セラフィムは振り向いて男に向き合った。 ふたりの子供を連れた男は心配そうに身を乗り出した。 「セラフィム、すぐに帰って来れるんだろ?」 「あなたたちを置いて私がどこかに行くわけがないでしょう」 セラフィムは幼児の頭をなでた。 「行く前に、あなたにどうしても言っておきたいことがあった」セラフィムは男にいった。「ごめんなさい。私のエゴであなたの若い時を犠牲にしてしまった。それだけをどうしても謝りたかった……」 男はいった。 「そんなことっ……! この子たちが産まれた時に忘れてしまった!!」男は幼児の手を強く握った。赤ちゃんを抱く手に力を込めた。「早く……帰ってきてくれよ……!!」 セラフィムは男に抱きついた。夫婦の間で赤ちゃんが戸惑うように手足を動かした。幼児が親を見上げた。 セラフィムはいった。 「愛している。士郎……」 「俺もだよ。セラフィム……」 ふたりは固く抱き合った。 夢の中のことながら、英代は思わずもらい泣きをしてしまった。 |